深夜特急に思いを馳せる
一番好きな本を久々に読んだ。初めて読んだときの事は結構忘れないものだ。
おそらく学年に2、3人くらいしか読まない「図書室便り」の端で顔も知らない現代文の先生がおすすめしていた本。
香港からロンドンまで電車を使わないで旅をする青年の話。
旅先の出来事はノンフィクションらしい。
この小説を初めて読んだときに感じたのは匂いだった。
NYやロンドン、パリなどの旅行紀だったらこの小説の中に充満している匂いはなかっただろう。作り物ではない本物の人と世界の姿がこの小説には存在する。インド=タージマハール、シンガポール=マーライオンという僕の薄い『世界』は壊された。
路地での謎のスパイス、汗臭い寄り合い宿、糞尿、川に吹く風など僕はベッドの上で読んでいただけなのにありありと頭に浮かんでくる。
香港の「大小」という賭けを行ったエピソードがある。さいころを使った簡単なものだ。その様子が事細かに描かれている。台を囲む人々の様子、主人公の上がっていく体感温度、賭けの結果が出る度に起こる反応、一夜明けたあとの虚しさ。僕は賭けをしたことはないが深夜特急の中では確かに賭けをしたのだ。
ロンドンを目指して旅に出たのにロンドンにつくと拍子抜けしたという。なぜか読んでいる自分もヨーロッパに入り目的地へ近づくと虚しさを覚えたのを覚えている。そんなばかな、読んでいただけなのにお前は何を言っているんだ。
小説なのでもちろん写真も挿絵もない。だけど確かに僕はホテルで青年と語り合い、カメラをせびられ、ガンジス川の上で風を感じた。
とはいえ読めば読むほど「でも、小説じゃん」と思ってしまう自分と会った。肌で感じないとわからないことがいくつもあることは容易に想像つく。結局読むたびに旅したいなぁと思う。
これを書いている現在、日本から海外の多くの国への渡航が制限されている。毎日何人の方が感染した、亡くなったというニュースばかりだ。誰も旅を勧めず、家に居ろという。仕方ない状況だ。お金貯めて一人旅、というこの小説を読んで抱いた夢もかなわないかもしれない。
数年後、この日記を見て、そんなこともあったなぁと言えるのが一番良い。