乃木坂の東京ドーム公演見たら涙出てきた【day3】
乃木坂のみなさん、ほんとに仲がいいし、みんな良い人すぎるよ。
乃木坂を振り返りながら青春を振り返るday3、書きながらまじでうるっときています。
大人になってから乃木坂というコンテンツに出会いたかった、と思っていた時期もあった。買いたくて諦めた雑誌や写真集、グッズやDVDは沢山あった。握手会やライブの遠征だってしたかった。
それでも、今では、いわゆる青春という時期に乃木坂に出会えてよかったと思う。
少ないライブ経験が二度と忘れないものになった。あの夜に聞いたラジオは不安定だった時期の僕を支えてくれた。受験期の帰り道に聞いたあの曲達を聴くたびに、めっちゃ頑張れた自分を思い出すだろう。
メンバーの成長と僕の成長を勝手に重ねたり、卒業発表で無駄に落ち込んだり。学生だったからこそ本当に心の底から楽しめたんじゃねぇのかと思う。
乃木坂を見ていると長編漫画みたいだなと感じる。
メンバーが卒業しても、誰かがその魂を継ぐ。
一つ目標を越えたら新しい壁ができる。
登場人物一人ひとりが悩みを抱え、仲間がそれを支える。
物語にひと段落ついたら新しい風が吹き、新しい光が差し込む。
その物語はこんな状況の下でも間違いなく更新されている。
これから乃木坂という物語がどんな展開を迎えるのだろう。
名もなき少女たちは、まだまだ坂の途中にいるのだ。
あるとしたら乃木坂という物語の最後のページまで追い続けたいと心の底から思う。
でも東京ドーム生で観たかったよね。
乃木坂の東京ドーム公演見たら涙出てきた【day2】
アンダーメンバーでも東京ドームの真ん中で一人一人が名前を呼ばれ、大歓声を受ける世界。乃木坂、夢しか無い。ライブ見ながら自然と歌詞メロディー口ずさんじゃいます。体に染みてる。陳腐な表現だけど「いい曲」が多い。
昨日の配信、母も見てたみたいで「みんな可愛いね」とお褒めの言葉をいただきました。
乃木坂を巡る自分語り第二弾です。一生忘れない2018年、高校二年の頃の話を。
僕の人生を変えたアーティストが三組存在する。ASIAN KUNG-FU GENERATION、ELLEGARDEN、乃木坂46だ。
僕の音楽初体験がアジカン。また、エルレを聴いて電撃が走った。乃木坂は僕に新しい世界を見せてくれた。
高校生活を文字通り満喫できるのが高校二年生である。僕も死ぬ気で楽しんだし、この年の夏の終わり、死んでもいいと思った。
その夏、僕は色々幸運が重なり、アジカン、乃木坂、エルレを生で見たのだ。
乃木坂のライブは夢の中にいるみたいだった。
ずっとずっと乃木坂を追いかけていた。それなのに、ライブに行けてないというのは自分の中でかなりモヤモヤしていた。何回も応募しても本当に当たらなかった。ライブがある度にセットリストを追う生活から早く解放されたかった。
けれどやっと友達が当ててくれた。6th year birthday live。本当に嬉しかった。
当日はすげー晴れていた。気分が上がりすぎて3時間前に会場についた。友達の発券番号を見て引いた。前から二列目。「こりゃやばいことになるな」良い予感しかなかった。
影ナレ、overture。一つ一つを何回もDVDで聞いて、夢見てきた。それを全身で感じてる。気づいたら大声で叫んでた。
最初はアンダーメンバーのゾーンだったなぁ。コールしないでずっと歌ってた気がする。そして選抜メンバーの姿を確認。「超絶可愛い」ってなんだよ、って思っていたけど実際、「超絶可愛い」のだ。そりゃ「超絶可愛い」って言うわ。
一番心に残っているのが「サヨナラの意味」。やっぱり橋本奈々未さんの卒業ライブに行けてないことは、自分の中で喉の小骨のように残っていたみたいで。でも、齋藤飛鳥さんのセンターで披露された「サヨナラの意味」を聴いて、一面の緑の景色を生で見た。それを見て心の底から満足して、あの日の澄んだ夕暮時の空みたいにスッキリしたなぁ。
トリプルアンコールが終わり、退場した僕らは興奮が止まらず、二時間くらい神宮外苑を歩き回った。言葉にならない興奮が僕を満たしていた。
夏の夜の風が僕を撫で、一抹の寂しさを呼び起こした。
一生忘れねぇよ。
そしてひと月半後、ELLEGARDENを生で観ちゃう。
乃木坂の東京ドーム公演見たら涙出てきた【day1】
乃木坂、好きなんですよ。配信と合わせて、三日間に渡ってつらつらと自分語りさせていただきます。
中高一貫の学生生活は本当に楽しかった。バンド組んだり、友達と文化祭の夜にずっとお話するとか。本当にしょうもなくて最高だったと思う。後悔全くないです。
それがA面だとしたら乃木坂を追いかけたのはB面でした。
2015年に「スクールオブロック」で橋本奈々未さんのコーナーが始まって完全に心奪われた。2015末、「今、話したい誰かがいる」で「こんないい曲アイドル歌うのか、、」と。アイドル馬鹿にしていた僕からすれば革命。
バンド音楽は大好きで大好きで最高で人生救われている。でも僕の中で乃木坂の曲、そして乃木坂という存在は別格だ。
メンバーそれぞれの思いとかバックグラウンドが込められた曲を、眩しすぎるくらいに真っ直ぐ放たれるとそりゃあ普通の感情じゃいられなくなるのだ。
テレビ、ラジオを追って、なけなしのお金で雑誌や写真集を買う。新しい曲が出たら何回も聴いて味わう。選抜発表に一喜一憂してネットの悲喜こもごもの言葉を追う。そんなコンテンツを追う楽しさもかみしめた。
それに、「アイドルを応援しちゃう自分」に酔っていたのかもしれないなぁ。
2017年、「推しの卒業」という通過儀礼を乗り越えて「推し変」という罪を背負う。
この夏、この年がすげー思い出に残っている。
乃木坂が爆発的に人気を上げたのだった。それまでは、僕と友達の2人だけでクラスの端で乃木坂について喋ってただけだった。なのに、陽キャ男子が「齋藤飛鳥可愛くね?」とか大声で話すようになったのだ。小っちゃいガッツポーズと少しの寂しさ。
高1になり、様々な面で自由を得た僕は乃木坂関係なく、沢山遊び色々経験した。そんな出来事の一つ一つ、二度と戻らない時間が「2017の乃木坂46」に詰まりまくっているのだ。
そんな僕は「高校最後の○○」や「平成最後の○○」、「受験」を乗り越えた。そして今、コロナ禍の真っただ中に「2017年の乃木坂46」をパッケージした「東京ドームライブ」の生中継を30万人の同士とともに鑑賞している。
泣いている。めっちゃ暑い上野公園で鬼ごっこしたり、クーラーのかからない部屋で文化祭の準備したり、友達の家でゲームしたり。
全く乃木坂が関係ないはずの、忘れられてしまったちっちゃな思い出の数々が「2017の乃木坂」とともに浮かんでくる。
キラキラしてて嘘みたいな、希望に溢れた2017年を思い出して泣いちゃってるのよ。
東京ドームのライブは外れて行けなかったのだけど。音漏れ聞きに行ったのは忘れません。(のちにその運をELLEGARDEN当選で使うのだ)
555ベストエピソードは43から44話にかけてだ。
555ベストエピソードは何話か?
8話?確かに最高だ。夢ってテーマを打ち出した。最高。
17話?巧はオルフェノクとして「同胞殺し」の罪を背負うってことだよね。最高。
35話?あんなの見せられたら興奮するしかないよね。最高。
僕は43話だと思う。
巧はここまでオルフェノクとしての自分を隠し、なんとか人として生きていた。オルフェノクとしての姿を見せ自暴自棄になるも、仲間の助けや澤田の死で「人を守る」と覚悟を決めた。オルフェノクでも人でもなく「乾巧」として受け入れられ、555として戦う決意を見せた巧。草加や三原との共闘も実現。
木場もオルフェノクではあるが、人を守り続けてきた。
この二人、真理、啓太郎、結花、直也を加えた物語の一つのピークが43話だ。
澤田の一件が落ち着き六人は遊園地へ。しかし警察はオルフェノクを襲撃するための準備を着々と進めており、結花を襲う。結花は人を撃退するも罪悪感から警察へ出頭。人体実験の実験台に。助けに入った木場は怒りのあまり警察を襲ってしまう。
木場と巧はオルフェノクを束ねる村上と会話する。村上は「人はオルフェノクを迫害する」と言い、木場はその言葉を否定できない。オルフェノクに襲われる刑事を助けようとするも足が動かない…
オルフェノク=人を襲うという構図が崩れ、正義の在処が問われる。木場は「人との共存」に暗雲が立ち込めるのを察した。
一方結花は人を襲い続けていたことから、啓太郎に愛される資格がないとして、匿われていた啓太郎の家を飛び出す。その先で敵と出くわし襲われる。
葛藤の末オルフェノクとなり敵を撃退。その場に居合わせた啓太郎。オルフェノクの姿を解き、後ろを向いて場を去ろうとする結花を抱きしめる。
「人間もオルフェノクもみんな幸せになればいい」
巧と木場の理想を体現した瞬間である。二人はつかの間の幸せをかみしめる。
40話もかけてやっとたどり着いた「人とオルフェノクの共存」という木場の理想がやっと体現した。だがその木場は人間への不信を高め、やっと築いた友の幸せを素直に喜べないどころか否定してしまう。
この全体的に漂うやりきれなさが555の魅力だ。いつも互いに歩み寄ろうとしてもなんらかの邪魔が入る。幸せのあとに訪れる絶望。互いに信じれるものがあるからこそ、すれ違ってしまう。全員の言い分が納得できるものだからこそ、物語に入り込み視聴者の感情が揺さぶられる。
44話後半、再び人間とオルフェノクの共存を話し合うために場を設ける巧。しかし警察は裏切り、巧が連れてきた木場、結花を襲う。木場は完全に人間を信じることを止める。結花は襲われ、挙句の果てに死亡。啓太郎とのデートは果たせず。
何回見ても最終盤のすれ違いに天を仰いでしまう。
「勧善懲悪」だった昭和仮面ライダー、理解されない存在として描かれたグロンギ、神の使いアンノウン、共に戦う存在として描かれた龍騎。そして物語のメインとして深すぎる程描かれた555。
幾年を経てここまで重厚な物語を紡ぐまでになった「平成仮面ライダー」という存在は、タイミング、経緯含め奇跡としか言いようがない。
常田大希はどこへ行くのか
King Gnuの音楽に初めて触れたのは「Flash!!!」だった。圧倒的なオーラ、こいつらなんか違うなと思った。MVも明らかに質感が違った。様々な要素をミクスチャーしながらも、鳴り続けるギターは僕の心を鷲掴みした。
「sympa」を手に入れると、隅から隅までトータルコーディネートされているCDに衝撃を受けた。総合芸術の域まで達していると思った。
2019年はKing Gnuに完全に傾倒した。ファンクバラード白日、ギターが唸る飛行艇、ノスタルジックな香りもする傘、などの楽曲を聴きまくった。井口のラジオ、メンバーのインタビューなどパーソナルな部分に触れる機会もあった。ライブこそ行けなかったもののKing Gnuにどっぷりと浸かった。
そして怒涛の年末テレビラッシュを越え、2020年の幕開けを告げたニューアルバム「CEREMONY」が発売された。
細部まで凝ったサウンドデザイン、新たな時代の到来を告げるファンファーレかのように鳴り響くインストゥルメンタル、そしてより進化したポップセンス。何回も繰り返し聞き、受験期の支えとなった。特にセンター前日の「Mステ」で披露された生演奏「Teenage Forever」を聴いたときは、この先の試験をすべて軽々と乗り越えることができる気がした。(センター惨敗)
だが、お茶の間まで広がるKing Gnuの姿に少し違和感を覚えたのも事実である。Vo.井口が人前に出る際に危なっかしさを感じることもあった。また、ラジオ最終回の大号泣にも不安定さを覚えた。
インタビューでも、「作品には真摯に向き合い100%を注いだが、急かされて作った感覚もある」とKing Gnuの舵取りを担う常田が答えていた。
おそらく、急速に広がる「King Gnu」という存在を彼らは背負い切れない、群れを制御しきれていないという感覚を持っているのではないか。
ここからが本題だ。
King Gnuの活動と並行して、井口を除くメンバーが参加しているのが「millennium parade」である。
King Gnuが「お茶の間に届ける」を目標としているならmillennium parade(ミレパ)は「常田大希の頭の中を再現する」を掲げているように思える。
そんなミレパの新曲が良すぎるのだ。「攻殻機動隊」の主題歌として制作された「Fly with me」である。
あえてフルを聴くのはMV公開までお預けし、プレミアム公開とともに視聴した。
King Gnuメンバーによる人力トラック、それに乗っかるラップは僕の好みどんぴしゃだ。映像は見る度に異世界へトリップした気持ちになるし、音と嵌る箇所がめちゃくちゃかっこいい。Gorillazっぽさも感じてひたすらにかっこいい。
だが、僕がもっともいいなぁぁぁと感じたのは歌詞だ。
I guess we just plowing fields now
(俺たち耕してるだけ)
Damn it's monopoly Ridiculous
(クソつまんねぇ、馬鹿げてる)
常田大希、まったく満足してない。歌詞が100%彼の思っている事ではないだろう。だが、ここまで売れてもまだ世界を睨み続けているのは確かだ。
Its time to get down with me
(俺と逃げ出そうぜ)
And maybe you will Fly with me
(そしたらハイになれるぜ)
後半の「Fly」はMVでは上記のように訳されているが「跳ぶ、飛ぶ」という意味も込めてるのではないか。こんなクソみたいな世界の中で俺の音楽聞いてハイになれよ、もっと新しい世界へ行こうぜと投げかける。
Well the problem is that we still in the game
(まぁ、問題は俺たちはまだ掌の上で踊らされているってことで)
There's nobody who can fly with no fuels
(燃料なしじゃ誰も飛べねぇんだろ?)
I guess we should have all behind
(全部ひっくり返さないとな)
and just ride on this battle ship
(そんでこのバトルシップに乗り込む時がきたようだぜ)
やっぱりこの曲で宣戦布告してる。本気で日本の音楽をひっくり返す意気込みをひしひしと感じる。
and let them know we party with our precious army
(奴らに教えようぜ、これ以上ない仲間と一緒だと)
I guess we should leave all behind and just ride on this battleship
(すべてを置いてこのバトルシップに乗り込むときじゃねぇのか?)
MVで巨悪に向かう映像とともに放たれるのがこの最後のメッセージ。停滞しきった日本の音楽シーンを、常田を中心とした若いクリエイターたちが変えていくという意思を感じるのだ。
常田大希は本気で音楽界を変えようとしているし、この「Fly with me」はその決意表明とも言える曲であるのは間違えない。
死ぬまでついていきたいアーティストである。なぁそうだろ、兄弟.
追記:https://news.j-wave.fm/news/2020/04/post-5821.html
五年前からあった曲で、ミレパのテーマソングとしての位置づけらしい。バックグラウンドを知らなくても、曲とMVだけで伝わるとは。恐るべし。
最近僕の中でキてる音楽たち【2020年4月終わり編】
Spotifyが永遠に音楽を薦めてくれるので時間があっという間な最近です。
あの時あんな音楽聞いてたなぁと思いだすための備忘録として残します。
Tempalay
やっとアルバムを通してじっくり聞けた。曲の展開や、鳴っている音は圧倒的に頭おかしい類の音楽。ロックとかヒップホップ、邦楽とか洋楽とかそういう括りから解き放たれている。とはいえ大衆向けじゃなかったり、あえて売れない方向の音楽をやっている、というわけではないと思う。聞いててめちゃくちゃ気持ちいし、メロディーや歌詞も耳に脳に纏わりついてくる。ライブ映像見る限りだとかなり肉体的なグルーブに包まれているようなので、早くライブみたいなぁ。
メンバーそれぞれがソロプロジェクトを主宰しているのも魅力。とくにドラムのJohn Natsuki氏の「かくれんぼ」を鬼リピ中。
the engy
関西のバンド。mabanuaによるremixが配信されており、それをきっかけに知った。
ニルバリッチ、サッチモスの流れに位置しているバンドなのかな、という印象。歌詞がめちゃくちゃ英語っぽい日本語なのでいい意味で軽く聞ける。とにかく聞いてて気持ちが良い系の音楽なので、青空の下で観たいです。
South Penguin
東京のバンド。最近のかっこいいバンドの方々は音源にいろんな楽器を入れることに躊躇がないらしい。このバンドも不思議パーカッションが随所に散りばめられていて聴いていて楽しい。ギターの湿っぽい感じが、ストーンローゼスを筆頭とするマッドチェスターの雰囲気を出している。「air」では韻シストさながらの人力ヒップホップをかましていて本当にかっこいい。
TENDOUJI
こいつらマジで好きなんです。こんなに気持ちよく楽器を鳴らしてくれると、こっちまで楽しくなってくる。彼らの音楽はコーラスが効果的だと思っていまして、聞きながらコーラス歌っちゃいます。新曲も3分以内のポップパンク、パワーポップで好きになる以外ないです。ビジュアルもかっこいい、というかやっている音楽のイメージぴったりのビジュアルで個人的にグッとくるポイントです。
NOT WONK
「TEENAGEPUNKLOVER」と銘打っているバンド。近年秋山黄色、君島大空などギターを弾きながらポップ最前線に躍り出るギーターヒーローがいる。それはギター好きとして嬉しい。それでも僕はバンドで戦っている奴らが好きなのだ。そんな中で出会ったのがNOT WONK。「最近のバンドはいろんな楽器使ってて聞いてて良い感じ」と言ったが、彼らに関しては真逆。とにかく三人が一体となって楽器を鳴らし曲になってる。時代の潮流を俯瞰から見て、ひたすらかっこいい音楽を鳴らす。70's、90'sでも、今から10年後でも同じように鳴り響くバンドだと思う。ギターロックの希望。
日本のロック、全然死んでない。僕の知らないかっこいいバンドはいくらでもいるんだろうなぁ。飽きさせないぜ。
「スパイダーマン:スパイダーバース」感想
僕の中でスパイダーマンの映画は少しだけ特別な意味合いを持っている。
「アメイジングスパイダーマン2」当時、僕は中学1年生だった。ゲームや音楽など「自分はこれだ!」を見つけ始める時期。周りにヒーローを追いかける友達は少なかった。そんな中「アメスパ2」を鑑賞し、最後のシーンで完全に心を射抜かれた。「ヒーロー」として描かれるキャラクターを一生追う決意をした作品になったのだ。
MARVEL作品が爆発的な人気を博し始めた2016年ごろ、新しくできた友達と共にMARVEL世界へと乗り込んだスパイダーマンを応援した。その後「エンドゲーム」、「ファーフロムホーム」を受験の間を縫って見届け、これからのヒーロー界を引っ張るであろうピーター・パーカーへの期待を膨らませた。
そして気づいたらスパイダーバースを見るタイミングを完全に逃していた。
やっと時間を作れた。部屋を暗くし、一番大きいテレビに父のスピーカーを繋いで鑑賞。
スパイダーバース!
— Mr.rich (@richnoise_0924) 2020年4月22日
凄い!面白い!黒のスパイダーマンかっこよ!
本当に真っ当な「スパイダーマンのオリジン」が描かれていて最高でした。
最高の脇役
「スパイダーバース」と銘打っているので、マイルズ含め6人のスパイダーマンが織りなす物語なのかな、と鑑賞前は考えていた。互いのすれ違いの末の協力、などが割とメインで繰り広げられるかな、と。
しかしいい意味で裏切られた。マイルズが主人公として存在し、周りのスパイダーマンはすでに成熟し、自分の役目などを見つけている状態。マイルズの成長のための最高の舞台装置として物語に配置されているのだ。別の世界線のスパイダーマン達の掘り下げ具合、物語における露出度がこれ以上ないぐらいに最高のバランスだと感じた。メイおばさんもかっこいいし。
マイルズの物語
この物語は「主人公がヒーローになるまで」というオリジンをしっかりと描き切っている。「主人公の持つ鬱屈を見せ、ふとしたことで力を得るもうまく使いこなせず、失敗してしまう。しかしあることをきっかけとして覚醒、悪を倒す」というプロット。
とくにスパイダーマンシリーズでは「力=責任」と一貫したテーマがあり、その「責任」は身近な者の死として描かれることが多い。このスパイダーバースにおいても、叔父が敵であるという今まで見たことのない(僕が知らないだけ?)設定を加えながら、やはり叔父の死をきっかけにマイルズの覚醒へのストーリーが加速していく。
また、マイルズが未だ学生であるからこそ生み出された「スパイダーバース」における特異な要素も見受けられた。それが「期待」である。家族の期待に対して感謝している部分もあるがうんざりもしている。ブルックリンの壁に描いたのは「大いなる誤算」という文字。ヒーローの力を手にし、亡くなったスパイダーマン、ほかの世界線のスパイダーマンらから世界を救える可能性を提示されるも自分は力不足。
そんな期待に応えようとするもうまくいかない、思春期特有の感情をしっかりと描く。そして叔父の死、B・パーカーの「跳ぶんだ」という言葉を受けたマイルズは覚悟を決め、覚醒する。今までのスパイダーマンシリーズでも描かれた「NYの空中滑空」を超弩級映像でこれでもかと描写し、「新なたスパイダーマンの誕生」を観客に刻み付ける。
ベタといえばベタだが、ものすごく興奮する展開であるのは確かだし、映像美とともに「最高!!!」と思う他なくなるのだ。
ほどけていく糸
平野啓一郎氏の提唱した「分人」という考え方がある。自分の中にはそれぞれが性格を持つ「分人」が存在し、それぞれが紛れもなく「自分」だ、結局僕もあなたも「分人」の集合体だよ、だから人によって接し方が変わるのは当然ですよ、という考え方だ。
マイルズはただの子供でもあるしスパイダーマンでもある。父はマイルズを愛しているが、スパイダーマンのことは忌み嫌っている。叔父ももちろんマイルズが好きだが、それと同時にキングスピンの手下としてスパイダーマン=マイルズを狙う。この主要な3人がそれぞれ「分人」を抱え互いの「分人」同士が糸のように絡み合っている。
マイルズは追ってくる怪人と対峙するも、その正体は愛し愛された叔父である。おまけに目の前で殺されごちゃごちゃとした感情に襲われる。それでもマイルズはB・パーカーや父の言葉により覚醒。スパイダーマンの戦いを見た父も思わず応援。「分人」同士の糸が徐々にほどけていくカタルシスにやられました。
映像
2000字も語っておいてあまり映像に触れないのもどうかと思う。でも劇場で観ておらず、大画面で味わえていないのでそこまでのことを言える立場じゃないです。
結局
★★★★★。覚醒したときのカタルシスを今までのどのスパイダーマンよりも感じた。主人公の思春期特有の感じ、キャラの配置の巧みさ、音楽に映像など、物語として洗練されていて完璧に近いと思います。続編も楽しみ。